トゥバ語(トゥヴァ語) Tuvan トゥバ語の音韻論と方言差について 風間伸次郎(東京外国語大学) 1. トゥバ語について 以下は庄垣内 (1989) に基づく。トゥバ語はチュルク諸語の1種で、主に、東シベリアのトゥバ共和国で使用されている。この共和国の南に接するモンゴル国西部(コブド・アイマグ Khovd-Aymag)、さらにその南部の中国新疆ウイグル自治区にも、若干の話し手が居住する。 2012年の観光地図によれば、共和国内の総人口は30万9347人である。共和国の総面積は170,500km2で人口密度は1.8人/km2、人口比率はトゥバ人64%、ロシア人32%となっている(Wikipediaによる)。 筆者が現地で見たところでは、新聞や雑誌もトゥバ語で発行されているが、特に都市部の若者の中にはトゥバ語よりもロシア語をよく話す者も多いという。なお表記にはキリル文字を使用している 。 2. トゥバ語の音韻論 以下、庄垣内 (1989) を要約する。 表1:トゥバ語の短母音 この8種の他、同種の長母音と緊喉母音とが各8種ずつある。この8母音体系はチュルク語のなかでは一般的なものといえる。ï は [ɯ] または [ɨ] の音価をもつが、新疆では [ɤ] の音価を与えている。ü は [y]、ö は [ø] を代表音価としてよい。新疆ではこの8種にさらに ä [ɛ] の1種を加えている。 トゥバ語の長母音は、トルクメン語のような本来のものではなく、子音の脱落によって発生したものである。 緊喉母音の存在はチュルク語にあってはきわめて特徴的なものといえる。この母音は、語の第1音節に現れ、正書法では母音文字に硬音符をつけることによって表示される。 a̭t「馬」():at「名」 ḙt「肉」:et「財産」 トゥバ語の子音は、正書法に用いられる22の子音専用表示文字の対応音が該当するといえる。 表2:トゥバ語の子音 p と t は語頭では出気をともなって、[ph] [th]の異音をもつ。その他の位置や借用語初頭では、普通、無気の [p] [t] が現れる。無気の p, t と有気の ph, th を、それぞれ独立の4音素とする場合もある。 b と d は語頭では無声化して、[b̥] [d̥] の異音をもつという特徴がある。 kは,本来のチュルク語単語の前舌母音系列に、q は、後舌母音系列に現われる。 ɣ は,前舌母音の系列では [ɣ] あるいは口蓋化した [ɣ’] を,後舌母音の系列では [ɣ] あるいは口蓋垂の[ʁ]を表わす。 gは、借用語にみられるが、新彊では、本来の語彙にもこの子音を認めている。 č は[ʧ],ǰ は[ʤ],vは [β] を代表音価としてよい。v, ŋ, yは語頭に、č, ǰ, zは語末に,それぞれ現われない。チュルク語において,もともと č であった子音は、トゥバ語では š に、また語頭に立ってもともと y であった子音は、č に変化した。 また、トゥバ語の子音の中には,母音間において弱化し脱落するものがある。 トゥバ語の母音調和は、口蓋調和を基調とし、それに唇音調和が加わるが,唇音牽引(cf. ヤクート語)はない。 トゥバ語の音節構造は、他のチュルク語と同じく、V, CV, VC,CVC, VCC, CVCCの6つの型をもつ。 アクセントは基本的に最終音節にあるが、否定を表わす接尾辞は,常にアクセントをとる。また奪格接尾辞は最終音節にあってもアクセントをとらない。 今後、トゥバ語の音韻論に関しては、Isxakov and Pal’mbax (1961) などをはじめとする先行研究を整理し、今回収集した基礎語彙音声資料も参考に、問題点及び再解釈を進めていく予定である。 3. トゥバ語の方言分類 筆者はキジルにて、Sat (1987)(Tuvinskaja dialektologija『トゥバ語方言論』)という本を見つけ、全ページ写真に撮って持ち帰った。これは102ページで全編トゥバ語で書かれている。 Sat (1987) は、トゥバ語の諸方言を、まず5つの方言に分割し、さらにそのそれぞれをいくつかの下位方言に分類している。 図 1:トゥバ語方言地図(Sat 1987) 表3:Sat 1987 によるトゥバ語諸方言 なお、xemはトゥバ語で川、xölは湖である。上記の表の「方言」の元のトゥバ語は dialekt、「下位方言」のそれは ayalga(zï) である。ただしXoluškak(下位)方言は、上位の方言として章立てされているにもかかわらず、Xoluškak ayalgazï と記されている。[ ]内の名称は筆者が便宜上名付けたものである。 上記の諸方言は、現在のトゥバ共和国内の諸地区と良く対応しているものと思われる。ただしSayan下位方言[中央・サヤン]は、エニセイ河に沿って国境を越えたハカス共和国側に位置している。またKara-Xöl下位方言[西・北]は独立した地区とはなっていない。 以下に現地で入手した2012年の地図に記されていた諸地区とその中心地、及び地区ごとの人口を示す。なお地図はロシア人に対する便宜のため、ロシア語に用いられる文字のみによるロシア語的発音に即した表記となっている。下記の表中ではその表記を転写したものを用いる。 表 4:トゥバ共和国内の諸地区とそ中心、及び人口 以下に、西、東北、東南に分割した地図本体も合わせて示しておく。 図 2:トゥバ共和国西部 図 3:トゥバ共和国東北部 図 4:トゥバ共和国東南部 以下には、現地のトゥバ人文研究所(Tuvinskij nistitut gumanitarnykh issledovanij)のSimčit, Kïz’i-Maadïr 氏より得た情報について記す。 氏にとって、[東南・東南]方言および[南・東]方言は聞いてすぐにわかる最も特徴的な方言であるという。次に[西・北]方言、さらにその次に[西・中央]方言が特徴的でわかりやすいという。 [東南・東南]方言には緊喉母音が無い(もしかするとさらに[南・東]方言にも無い)。キジルの方言のイントネーションが上がり調子であるのに対し、[東南・東南]方言のそれは下がり調子で、文頭が強いという。モンゴルのツァータンの方言と同じものではないかという(Seren, P. S.の研究によるという)。 1950年代にモンゴル国との国境が引かれたが、それまでは行き来があったため、[南・東]方言にはモンゴル語の影響が大きく及んでいるという。この地域には、モンゴル語の方が達者な話者もいるという。 [東北]方言、[東南・東南]方言、[西・北]方言については単独の論文があり、[中央・西]方言と[東南・西]方言については、音韻論の論文があるという。[南・東]方言については修士論文があるという。 Sat (1987) の巻末には、トゥバ語諸方言についての詳しい参考文献目録がある。これについても今後その情報をアップして行きたいと考えている。 トゥバ語で書かれているため十分に把握できるかは問題であるが、Sat (1987) に記述されている各方言の特徴についても今後整理公開して行きたいと考えている。 4. 2011年および2013年における筆者の基礎語彙調査概要 2011年9月、ブリヤート共和国のウラン・ウデにて、ウラン・ウデの大学に入学し学んでいる2名のトゥバ人の学生より基礎語彙の調査を行うことができた。 【中央方言(1)】2011年9月13日に、Dorǰu, Anay-Xaak Šoy-oolovna 氏(1991年Kïzïl 生まれ、女性)より基礎語彙を収集した。 【中央方言(2)】同じく2011年9月13日には、Oorǰak, Sayïn-Maadïr Stanislavovič 氏(1990年 Bay-Tayga地区のTeeli(人口7,000~8,000人の街でほとんど全員がトゥバ人であるという)生まれ、男性)より礎語彙を収集した。その時には、Kuular, Buyan Andreevič 氏(1990年Tanda地区 Meǰegey(人口は1,500人ぐらいで、50人ほどロシア人が住んでいるという)生まれ、男性)が同席していて、Oorǰak 氏が単語を思い出せない時には、それを助けていた。しかし録音した発音は全てOorǰak氏のものである。Bay-Tayga地区は西方言の地域に属する。ただし若い話者であり、マスコミ等の影響により共通語化している可能性も考えられる。 次に、2013年にトゥバ共和国の首都キジル(Kïzïl)にて、2名の話者から基礎語彙を収集した。 【クングルトゥガ方言】まず2013年8月24日、Ereksen, Aï-Kis 氏(1977年Tere-xol’地区 Kungurtug生まれ、女性、キジルに出て来たのはごく最近であるという)より基礎語彙を収集した。したがってクングルトゥグ方言の話者である。 ここでクングルトゥグ地域について得られた情報を若干記しておく。クングルトゥグはキジルよりはるか何頭の僻遠の地で、空港がある。飛行機はかつて週に2回フライトがあったが、現在はほとんど飛んでいないという。現在、夏は、キジルの南のエルズィン(Erzin)へ出て、南回りの陸路で行くことができる。11月以降はエニセイ河(トゥバ語ではカー河(Kaa xem))が凍るので、サリグ・セップ(Sarïg-Sep)経由で行けるという。車は崖の細い道を通り、その高さもきわめて高い(谷底の家などがマッチ箱のように小さく見えるという)ため、特に初雪、大雪、雪解けの時期は危険であるという。何度も車は転落したことがあり、死傷者も多く出ているという。夜もずっと走っても24時間以上かかり、ゆっくり行けば丸2日かかる距離であるという。 Ereksen氏によれば、かつては数軒しか家がなく、車も村に2台(トラクターと「ウラル」という名の大型車)しかなかったという。小学校の時にはまだ電気がなかったので、日が暮れればもはや宿題などの勉強はできなかったという。小学校5年生の時に(発電機による)白黒テレビが村に持ち込まれ、皆が一軒の家に集まって見たのであるという。3, 4年前に初めて電気が通ったという。村での生業は狩猟で、クロテン、ヘラジカ、クマなどが獲れるが、オオカミもいるという。 【中央・西方言】2013年8月24日午後には、Adïgbay, Čeček 氏(1961年Sug-Xol’地区のSug-Aksï生まれ、しかし5歳の時よりキジルにて育つ、女性)より基礎語彙を録音した。氏の父親もSug-Xol’地区のSug-Xol’湖近くの Mančurek川の村落の出身であるそうで、若干は中央西方言の要素を保持している可能性がある。 【南方言】2013年8月24日には、車でキジルより約120kmほど南下し、Oyun, Melestey 氏(1973年 Tes-xem地区のSamagaltay付近生まれ、男性)より基礎語彙を収集した。したがって氏は、モンゴル国にもほど近い南方言の話者である。氏は遊牧の生活をしており、現在馬約250頭、牛約25頭、ヒツジとヤギは約50頭を有しているが、これは中程度の規模であるという。9月中旬冬営地に向かうが、これはさらに南へ向か大きな峠を越えた30kmほど先にあるという。1月はマイナス50℃、2月は40℃台の気温の地であるという。 参考文献 Isxakov, F. G. and A. A. Pal’mbax (1961) Grammatika tuvinskogo jazyka. Fonetika i morfologija. Moskva: Vostočnoj Literatury. 庄垣内正弘 (1989) 「トゥバ語」亀井孝・河野六郎・千野栄一編『言語学大辞典 世界言語編 第2巻』1222-1225. 東京:三省堂 Sat, Šuluu Čïrgal-oolovič (1987) Tuvinskaja dialektologija. Uchebnoe posobie. Kïzïl: Tuvinskoe knizhnoe izdatel’stvo.